福祉農園

2019年度より当クラブは福祉農園への参加は取りやめました。

平成26年度に20回目を迎えた、区の主催の福祉農園は、もともと横浜都筑ライオンズクラブが始めたものである。

はじまり「バーベキューと演歌の夕べ」

当時在籍していた藤田孝雄L(故人)が中心となって、19939月に開催した「バーベキューと演歌の夕べ」に、障害者団体「かえで」「わかば」「黄色いからす」の子供たちを招待したのが、福祉農園のそもそもの始まりである。

藤田Lは、「障害のあるなしに関係なく、みんなで楽しめるようになれば」との思いで、この行事を企画した。当日はイベント車を使ったステージを見ながら、バーベキューを和気あいあいと楽しんだ。

「バーベキューとふれあいの夕べ」藤田L感想

1994910日には角田政男L(当時)が実行委員長となり、「東やまた工房」「都筑ピルネ」「ピルネ都筑の家」「黄色いからす」を招待し「バーベキューとふれあいの夕べ」を横浜北農協流通センターで開催。

1995年「バーべキューとふれあいの夕べ」
1995年「バーべキューとふれあいの夕べ」

1995 92日には藤田Lが実行委員長となり、東方公園において「バーべキューとふれあいの夕べ」を開催した。15か所の近隣障害者施設から家族を含め180名を招待、その他に当クラブメンバーの家族80名も参加した、盛大な会であった。

この時に実行委員長であった藤田L自身の感想が残っている(会報「しんよこはま」vol.1)。

そこからは、この会は「身障者施設に入所している身障者の方やそこで働いている方や家族を招待してバーベキューを囲んで」ふれあいを持つことを目的としていたこと。また、「参加者を集める為に施設を訪問して、同意を得ることから」はじまり、会場の設営、もてなし方の確認、プロの太鼓奏者へのボランティア演奏の依頼、当日の天候の心配、さらに終了後の身障者への接し方の反省まで、多岐にわたって心配りをしていたことも読み取れる。

 なお、この年より、都筑区福祉農園「障害者とおいも掘大会」に、援助金を拠出している。

福祉農園の原型

1996年「いも掘り、バーベキュー例会」
1996年「いも掘り、バーベキュー例会」

1996年には現在の福祉農園とほぼ同じ形で「いも掘り、バーベキュー例会」が開催されている。

実行委員長の長谷川秀男Lは先ずイモ作りから始めている。「農業は先ず土造り」と「25寸巾に高さ30センチのウネを」農業経験のないメンバーを指導しながらどうにか完成。次に「植え付けの巾に穴の開いた黒いビニールシートをウネに覆い被せ」て、ようやく「ベニアズマの2500本の苗を」植えつけた(会報「横浜都筑」№5)。

5か月後、立派に育ったイモを地域の障害者を招いて大収穫祭。この時の様子を、この会に参加した当時の横浜あおばライオンズクラブ会長・工藤五三Lが詳しく記している(『結成5周年記念誌』)。

畑の中に車椅子を入れ車椅子に乗ったまま芋が掘れるよう考えているメンバー。つき添いの方の真剣な眼差し。ここを掘って芋を取ろうと優しい言葉で車椅子から手を伸ばし土を触ったその時の嬉しそうな「顔」、そばで見ていた私も思わず「ヤッター」と声を出してしまった。それから芋に手が届くと周りにいた人達が一斉によかったよかったと車椅子に寄り添って私も一緒に喜びあうことが出来ました。

福祉農園へ

1997年芋植え
1997年芋植え
1997年育成中
1997年育成中

1997年も前年と同様に、クラブで芋の栽培から手掛けた「芋掘りとバーベキューの集い」が斉藤麻令L(当時)を委員長として開催された。

 1998年の「芋掘り例会」はあいにくの天気だったため、後日「地域内福祉施設へさつま芋を贈呈」している。

この間も毎年、都筑区福祉農園「障害者とおいも掘大会」には協力金を拠出していた。

 そして、1999年にはついに、当クラブ独自の芋掘り例会は姿を消し、都筑区主催の「福祉農園」に一本化された。