毎月の奉仕活動による26期までの総採血量は4,432,200㎖。
採血量は期を追うごとに減少していったが、19期(2010~11)の東日本大震災を契機に一時的に増加、その後また減少傾向にある。
この間、当クラブがに献血奉仕を行わなかったのは、11期4月中止 17期11月催行せず 22期2月雪で中止の3回のみである。
1~26期(1993~2018年)年別総採血量表
期 |
奉仕回数 |
採血量(㎖) |
|
期 |
奉仕回数 |
採血量(㎖) |
1期2期 |
12 |
231,400 |
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15期 |
12 |
144,200 |
3期 |
15 |
278,400 |
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16期 |
12 |
151,600 |
4期 |
14 |
226,400 |
|
17期 |
11 |
134,600 |
5期 |
14 |
242,200 |
|
18期 |
12 |
170,200 |
6期 |
13 |
193,600 |
|
19期 |
13 |
217,200 |
7期 |
13 |
210,400 |
|
20期 |
13 |
173,800 |
8期 |
13 |
184,400 |
|
21期 |
13 |
226,200 |
9期 |
12 |
156,200 |
|
22期 |
11 |
177,600 |
10期 |
12 |
146,000 |
|
23期 |
12 |
162,800 |
11期 |
12 |
127,700 |
|
24期 |
13 |
162,400 |
12期 |
11 |
121,200 |
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25期 |
12 |
159,800 |
13期 |
12 |
120,100 |
|
26期 |
12 |
189,800 |
14期 |
12 |
124,000 |
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|
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4,432,200 |
当クラブは「横浜みどりライオンズクラブ」からエクステンションし、1993年に結成された。チャーターメンバーによれば、「ライオンズ全体が献血に取り組んでいることから、当クラブも献血奉仕に取り組むことにした。」という。
当初、当クラブは「新横浜ライオンズクラブ」と名乗っていた関係もあり、1期~8期(1992~2000)までの主な献血奉仕場所は「たまプラーザ駅前」「青葉台東急百貨店」であった。
献血奉仕場所・献血奉仕日の変遷
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その間5期(1996~97)に、「横浜都筑ライオンズクラブ」と改名、同時期「横浜あおばライオンズクラブ」が兄弟クラブとして誕生した。
そのような変化に対応し、7期より「センター南」でも献血奉仕を行うようになった。当時を知るメンバーによれば、「都筑区内は造成地ばかりであり、地下鉄の駅ができても、人通りが少なく、おおよそ献血には向いていなかった」という。
9期(2000~01)より「センター北」でも献血奉仕を始めたが、「たまプラ」「青葉台」から完全に離れた10期(2001~02)以降は、総採血量も減少の一途をたどる。
11期(2002~03)以降、3月は「センター北まつり」に合わせて献血奉仕を行うようになった。12期(2003~04)には「区民まつり」で献血奉仕を行ったが、それはその年だけで終わった。
13期・14期(2004~06年)頃に、献血活動のやり方が変わった。
それまでは、当クラブが献血者の受付を行い、拡声器を使った呼びかけを行っていた。
それが、13期の厚生委員長吉田厚雄L・14期の厚生委員長花井眞智子L(当時)がともにクラブの活動報告誌に、書いているように、「昨今になり献血者のプライバシー保護」のためライオンズによる受付ができなくなり、また「拡声器での呼び込み」も難しくなったのである。(「都筑」№13、№14)
これは、個人情報保護・本人確認の厳格化のために、2006年に献血カードが導入されたことと大いに関係していると思われる。献血カードは「血液センターや献血ルーム・献血バスに設置してある、専用の端末でしか磁気情報を見ることができない」ため、ライオンズによる受付はできなくなったのである。(「平成18年10月1日から、献血カードを全国で導入しました。」http://www.jrc.or.jp/vcms_lf/kenketsu_20081110.pdf
「ウィキペディア(Wikipedia)」献血カード
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AE%E8%A1%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89)
15期(2006~07)には5期以来2度目の「都筑区役所」での献血奉仕が行われた。当時の厚生委員長大淵真Lによると「赤十字から都筑区役所で献血活動をしたい」との申し出があり、役所方面に強い「長谷川秀男Lにお願いをし」翌日には区役所での実施が決まったとある。当クラブとしては、この時以来区役所での献血奉仕は行っていないが、赤十字単独での献血はそれ以降も行われている。
16期(2007~08)になると、新たに「ららぽーと横浜」が献血場所として加わった。
当時の会長であった梛木和則Lによると「もう一カ所(献血場所を)増やそう」という話が出ており、都筑区で「一番人が集まっている」場所が2007年春に開業したららぽーと横浜だった。また、「他クラブも献血場所としてららぽーとを狙っている」という情報も入ってきていたので、直接交渉に行ってみたところ、とんとん拍子に決まったという。
その後、19期(2010~11)に献血車の配置場所を駐車場に変更する交渉なども行った。しかし、24期・25期は年に1回、26期は年2回と近年低調に推移した。今年度(27期)に入り、再び3カ月に1度はららぽーと横浜での献血奉仕が復活。呼びかけ場所も日赤担当者・ららぽーと担当者のおかげで、店内の人通りの多い場所へと変更された。
19期は東日本大震災が起こった期であり、先に述べたように総採血量が大幅に伸びた。
また、センター北の献血車の配置場所を、交番前のローターリーからモザイクモール隣に移動させることに成功した。
20期(2011~12)になると、結成以来基本的に毎月26日に行っていた献血奉仕が困難になった。「平日では目標採血量までに届かないため、配車できない」との日赤の意向を受け、以降基本的に第3土曜日に献血奉仕を行うこととなった。
22期(2013~14)には、7月以降センター南での献血奉仕ができなくなった。センター南駅前でインターロッキングの補修工事が行われた後、重量のある車が入るとインターロッキングがダメになるとのことで、献血車が駅前に入ることができなくなったためである。
23期(2014~15)に入ると、センター南での献血は再開された。ただ、献血車はトイザらスやスポーツオーソリティが入ったキーサウスの前の舗道に配置され、駅より少々遠い場所となった。
25期(2016~17)に入ると、今度はキーサウスが工事に入ったため、再びセンター南での献血奉仕ができなくなった。ようやく再開できたのは、工事が終わった今期(27期)になってからである。
当クラブでも、奉仕活動に参加するメンバーが固定し、減ってきている傾向がある。このため、多くの他クラブのように、「毎月行わなくてもいいのでは」との議論も時々持ち上がってくるが、「継続は力なり」との思いで続けている。
メンバーの固定化に対しては、今期の西村哲雄厚生委員長を中心に、担当者表を作り最低3カ月に1回は出てもらおうと試みているが、道半ばである。
また、メンバーの啓蒙だけでなく道行く人、特に未来の献血者である子供たちに届くように、27期会長齋藤浩光Lと永嶋孝男Lの人脈をフル活用して、ミニうちわを製作。
暑い季節が終わってしまったため、9月のみしか配布できなかったが、来年の夏に再び配る予定である。
当クラブは、これまでの献血奉仕に対して、14期19期20期21期と献血推進功労者知事表彰等を、26期には日本赤十字より金色有功章をいただきました。
そして今年(2018年)7月12日付で献血功労に係る厚生労働大臣感謝状をいただきました。
ありがとうございました。