献血奉仕の軌跡

当クラブは「横浜みどりライオンズクラブ」からエクステンションし、1993年に結成した。もともとライオンズクラブ自体が献血に力を入れていたこともあり、当クラブも中心的なアクティビティとして、献血奉仕を行うこととなった。  半世紀余にわたって、毎月毎月行われた献血奉仕の結果、総採血量443万2200㎖。その間中止となったのはわずか3回だけであった。  半世紀余にわたる活動の間には、活動場所が変わっただけでなく、開催日や活動方法も変わってきている。  その変化も含め、当クラブの半世紀余の献血奉仕の軌跡を見てゆこう。

献血量の変化

毎月の奉仕活動による26期までの総採血量は4,432,200㎖。

 

採血量は期を追うごとに減少していったが、19(201011)の東日本大震災を契機に一時的に増加、その後また減少傾向にある。 

 

この間、当クラブがに献血奉仕を行わなかったのは、114月中止 1711月催行せず 222月雪で中止の3回のみである。

1~26期(19932018年)年別総採血量表

 

奉仕回数

採血量(㎖)

 

奉仕回数

採血量(㎖)

12

12

231,400

 

15

12

144,200

3

15

278,400

 

16

12

151,600

4

14

226,400

 

17

11

134,600

5

14

242,200

 

18

12

170,200

6

13

193,600

 

19

13

217,200

7

13

210,400

 

20

13

173,800

8

13

184,400

 

21

13

226,200

9

12

156,200

 

22

11

177,600

10

12

146,000

 

23

12

162,800

11

12

127,700

 

24

13

162,400

12

11

121,200

 

25

12

159,800

13

12

120,100

 

26

12

189,800

14

12

124,000

 

 

 

4,432,200


献血奉仕場所の変遷

当クラブは「横浜みどりライオンズクラブ」からエクステンションし、1993年に結成された。チャーターメンバーによれば、「ライオンズ全体が献血に取り組んでいることから、当クラブも献血奉仕に取り組むことにした。」という。

 当初、当クラブは「新横浜ライオンズクラブ」と名乗っていた関係もあり、1期~8(19922000)までの主な献血奉仕場所は「たまプラーザ駅前」「青葉台東急百貨店」であった。

たまプラーザ 1994.11.26 (3期)撮影
たまプラーザ 1994.11.26 (3期)撮影
青葉台 1995.2.24 (3期)撮影
青葉台 1995.2.24 (3期)撮影

献血奉仕場所・献血奉仕日の変遷

奉仕日 献血奉仕場所  
1期2期 基本26日 たまプラーザ駅前 青葉台東急百貨店      
3期 基本26日 たまプラーザ駅前 青葉台東急百貨店 赤十字川崎センター 年次大会 一幸電子工業㈱
4期 基本26日 たまプラーザ駅前 青葉台東急百貨店   年次大会 一幸電子工業㈱
5期 基本26日 たまプラーザ駅前 青葉台東急百貨店   都筑区役所 一幸電子工業㈱
6期 基本26日 たまプラーザ駅前 青葉台東急百貨店   330複合年次大会  
7期 基本26日 たまプラーザ駅前 青葉台東急百貨店 センター南    
8期 基本26日 たまプラーザ駅前 青葉台東急百貨店 センター南    
9期 基本26日   センター北 センター南 青葉台駅前 青葉台東急スクエア
10期 基本26日   センター北 センター南    
11期 基本26日   センター北 センター南    
12期 基本26日   センター北 センター南   4月中止
13期 基本26日   センター北 センター南    
14期 基本26日   センター北 センター南    
15期 基本26日   センター北 センター南 都筑区役所  
16期 基本26日 ららぽーと横浜 センター北 センター南    
17期 基本26日 ららぽーと横浜 センター北 センター南   11月なし
18期 基本26日 ららぽーと横浜 センター北 センター南    
19期 基本26日 ららぽーと横浜 センター北 センター南    
20期 第3土曜日 ららぽーと横浜 センター北 センター南 年次大会  
21期 第3土曜日 ららぽーと横浜 センター北 センター南    
22期 第3土曜日 ららぽーと横浜 センター北 センター南   2月雪で中止
23期 第3土曜日 ららぽーと横浜 センター北 センター南    
24期 第3土曜日 ららぽーと横浜 センター北 センター南    
25期 第3土曜日 ららぽーと横浜 センター北 センター南    
26期 第3土曜日 ららぽーと横浜 センター北      
 
   

その間5(199697)に、「横浜都筑ライオンズクラブ」と改名、同時期「横浜あおばライオンズクラブ」が兄弟クラブとして誕生した。

1996.9.26たまプラーザ(5期)  河井L献血
1996.9.26たまプラーザ(5期)  河井L献血
1997.8.29青葉台(6期)  清水L献血
1997.8.29青葉台(6期)  清水L献血

 そのような変化に対応し、7期より「センター南」でも献血奉仕を行うようになった。当時を知るメンバーによれば、「都筑区内は造成地ばかりであり、地下鉄の駅ができても、人通りが少なく、おおよそ献血には向いていなかった」という。

センター南   1999.11.26(8期)撮影
センター南  1999.11.26(8期)撮影

同日、ブースは外だったが
同日、ブースは外だったが
9期になると駅構内へ移動
9期になると駅構内へ移動

 9(200001)より「センター北」でも献血奉仕を始めたが、「たまプラ」「青葉台」から完全に離れた10(200102)以降は、総採血量も減少の一途をたどる。

センター北(9期)
センター北(9期)
センター北(10期) ブースは現在センター北まつりの際に出している場所と同じところ  現在通常時は駅構内
センター北(10期) ブースは現在センター北まつりの際に出している場所と同じところ  現在通常時は駅構内

11(200203)以降、3月は「センター北まつり」に合わせて献血奉仕を行うようになった。12(200304)には「区民まつり」で献血奉仕を行ったが、それはその年だけで終わった。

センター北まつりの出店ブースが左上に見える 2004.3.20(12期)撮影
センター北まつりの出店ブースが左上に見える 2004.3.20(12期)撮影

13期・14(200406)頃に、献血活動のやり方が変わった。

それまでは、当クラブが献血者の受付を行い、拡声器を使った呼びかけを行っていた。

それが、13期の厚生委員長吉田厚雄L14期の厚生委員長花井眞智子L(当時)がともにクラブの活動報告誌に、書いているように、「昨今になり献血者のプライバシー保護」のためライオンズによる受付ができなくなり、また「拡声器での呼び込み」も難しくなったのである。(「都筑」№13、№14)

これは、個人情報保護・本人確認の厳格化のために、2006年に献血カードが導入されたことと大いに関係していると思われる。献血カードは「血液センターや献血ルーム・献血バスに設置してある、専用の端末でしか磁気情報を見ることができない」ため、ライオンズによる受付はできなくなったのである。(「平成18年10月1日から、献血カードを全国で導入しました。」http://www.jrc.or.jp/vcms_lf/kenketsu_20081110.pdf

「ウィキペディア(Wikipedia)」献血カード 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AE%E8%A1%80%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89

 15(200607)には5期以来2度目の「都筑区役所」での献血奉仕が行われた。当時の厚生委員長大淵真Lによると「赤十字から都筑区役所で献血活動をしたい」との申し出があり、役所方面に強い「長谷川秀男Lにお願いをし」翌日には区役所での実施が決まったとある。当クラブとしては、この時以来区役所での献血奉仕は行っていないが、赤十字単独での献血はそれ以降も行われている。

2006.11.28 区役所にて(15期)
2006.11.28 区役所にて(15期)

16(200708)になると、新たに「ららぽーと横浜」が献血場所として加わった。

当時の会長であった梛木和則Lによると「もう一カ所(献血場所を)増やそう」という話が出ており、都筑区で「一番人が集まっている」場所が2007年春に開業したららぽーと横浜だった。また、「他クラブも献血場所としてららぽーとを狙っている」という情報も入ってきていたので、直接交渉に行ってみたところ、とんとん拍子に決まったという。

 

その後、19(201011)に献血車の配置場所を駐車場に変更する交渉なども行った。しかし、24期・25期は年に1回、26期は年2回と近年低調に推移した。今年度(27)に入り、再び3カ月に1度はららぽーと横浜での献血奉仕が復活。呼びかけ場所も日赤担当者・ららぽーと担当者のおかげで、店内の人通りの多い場所へと変更された。

ららぽーと横浜 2009.9.25 (18期)撮影
ららぽーと横浜 2009.9.25 (18期)撮影
19期  鴨居方面入口へブース移動
19期  鴨居方面入口へブース移動

19期は東日本大震災が起こった期であり、先に述べたように総採血量が大幅に伸びた。

 また、センター北の献血車の配置場所を、交番前のローターリーからモザイクモール隣に移動させることに成功した。

交番に近い駅前ロータリーに配車 18期撮影
交番に近い駅前ロータリーに配車 18期撮影
3人の後ろに献血車 モザイクモールの隣に移動 2018.2.16(26期)撮影
3人の後ろに献血車 モザイクモールの隣に移動 2018.2.16(26期)撮影

20(201112)になると、結成以来基本的に毎月26日に行っていた献血奉仕が困難になった。「平日では目標採血量までに届かないため、配車できない」との日赤の意向を受け、以降基本的に第3土曜日に献血奉仕を行うこととなった。

 

22(201314)には、7月以降センター南での献血奉仕ができなくなった。センター南駅前でインターロッキングの補修工事が行われた後、重量のある車が入るとインターロッキングがダメになるとのことで、献血車が駅前に入ることができなくなったためである。

23(201415)に入ると、センター南での献血は再開された。ただ、献血車はトイザらスやスポーツオーソリティが入ったキーサウスの前の舗道に配置され、駅より少々遠い場所となった。

25(201617)に入ると、今度はキーサウスが工事に入ったため、再びセンター南での献血奉仕ができなくなった。ようやく再開できたのは、工事が終わった今期(27)になってからである。 

センター南駅前広場 2012.5.19(20期)撮影
センター南駅前広場 2012.5.19(20期)撮影
キーサウス前へ 2015.4.17(23期)撮影
キーサウス前へ 2015.4.17(23期)撮影

今期の取組と今後の課題

当クラブでも、奉仕活動に参加するメンバーが固定し、減ってきている傾向がある。このため、多くの他クラブのように、「毎月行わなくてもいいのでは」との議論も時々持ち上がってくるが、「継続は力なり」との思いで続けている。

メンバーの固定化に対しては、今期の西村哲雄厚生委員長を中心に、担当者表を作り最低3カ月に1回は出てもらおうと試みているが、道半ばである。

また、メンバーの啓蒙だけでなく道行く人、特に未来の献血者である子供たちに届くように、27期会長齋藤浩光Lと永嶋孝男Lの人脈をフル活用して、ミニうちわを製作。 

暑い季節が終わってしまったため、9月のみしか配布できなかったが、来年の夏に再び配る予定である。

うちわ表
うちわ表
うちわ裏
うちわ裏

ありがとうございます

 当クラブは、これまでの献血奉仕に対して、14192021期と献血推進功労者知事表彰等を、26期には日本赤十字より金色有功章をいただきました。

 そして今年(2018)712日付で献血功労に係る厚生労働大臣感謝状をいただきました。

  ありがとうございました。

クラブでの記念写真
クラブでの記念写真
平成30年度献血功労に係る厚生労働大臣表彰及び感謝状伝達式記念写真
平成30年度献血功労に係る厚生労働大臣表彰及び感謝状伝達式記念写真
感謝状
感謝状

金色有功章受章記念写真 2017.10.27(26期)撮影
金色有功章受章記念写真 2017.10.27(26期)撮影
金色有功章
金色有功章
神奈川県献血推進功労者表彰 受章記念盾 20期
神奈川県献血推進功労者表彰 受章記念盾 20期

長老たち センター南にて 2013.2.16撮影(21期)
長老たち センター南にて 2013.2.16撮影(21期)